お祭りです
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流行って訳じゃないけど、入ってますが、ここで知り合ったらお友達ってのは勘弁して欲しいって所もある。顔もまるくった知らないのに、そんな関係ってどうよ、ってな所。
同じ趣味って言っても、まるで筋違いな人達もいる訳で。
ネットに繋げて情報を得るという行為で、携帯電話で、ってのが思っている以上に多いってのが言われていたが、携帯からMailを送ってくる輩の、礼儀知らずというか、あり得ないと思うMailがある、っていうか、携帯電話からのMailは殆どそうなんだが、1行Mailって友人同士なら許せるんだろうが、初めての相手にも、枕詞も締めの言葉もない、Mailを平気で送ってくる。
そんな輩でもSNSでお知り合いになったって事でため口で来られたら、付き合わなきゃいけないとしたら勘弁して欲しい。
いきなり尋ねた来られて、用があるのかと思いきや、痴話話ではねぇ、大体子供より年下と痴話話で盛り上がるんならそれなりのエスプリやらボキャブラリーを持ち合わせて来て貰わないとこちらが持たない。
ってな所で、SNSってのも、そろそろ、考えなきゃねぇ。
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秋田県が「全国学力テスト」で連続日本一って事だけど、当の我々が「えぇ、そうなんだ、でも信じられない」ってな感じなんだが。
確かに少人数学級で、皆さんに気が回るんだろうから、落ちこぼれが少ない状態でいるんだろうけど、その最たる結果はテストの結果だけでなく、不登校の人数が全国最低だって所も反映していると思うんだが。
で、高校、大学と進学して行くに連れて、レベルが下がって行くっていうか、全国最低レベルになっていくってどうよって感じ。
結局中庸がいっぱいいて、頭の良い奴は少ししかいない、って事だし、中庸に合わせた授業をして落ちこぼれを防いでいるだけなんだな。
だから、秋田を見習えってのは、ちょっと違うんじゃ無いのって言われて、納得だよな。
人材がいないっていっつも言われてるけど、そうだよな、結局次の知事さんのなり手って未だ名乗りがないんだよな(一人いるけど番外だし)。
喜ぶべき事柄では無いってことを肝に銘じましょ、皆さん。
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超神ネイガーしか知らないんだけど、二番煎じ三番煎じが続々登場らしい。
岩手のヒーロー「岩鉄拳チャグマオー」、青森のヒーロー「跳神ラッセイバー」、山形のヒーロー「芋煮マン」って、皆さん知ってた?
秋田だと、あんまり商売っ気で動くことってあまり考えてないのかと思うけど、山形辺りだと、花笠音頭然りで、どんどん商売にしてくるあたりが、県民性かなぁ。
まぁ、今は「超神ネイガー」とその一門郎党が断トツ有名だけど、そのうち逆転なんて事になるかもね、って事はないか?
http://news.cocolog-nifty.com/cs/catalog/cocolog-news_article/catalog_domestic-200810221736_1.htm
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日産からキックスなる新しい車種が発売になるとか。
ってよく見ると、パジェロミニのOEM(original equipment manufacturing)だよな。
この元になるパジェロミニって、今のモデルにマイナーチェンジしたのが1998年だってんだから、今から10年前だし、このパジェロミニって軽自動車の売れ行きが良いとは言えないんだが、10年前の車をバッチを変えただけで売ろうって魂胆がねぇ。
三菱と日産って、日産がブランドとしてはアドバンティージがあるんだろうけど、スズキに対するアドバンティージほどは無いんじゃないの?
パジェロミニが発売になるってことで、スズキが慌ててJIMNYをモデルチェンジして、JA12って車を作ったんだけど、クロカンできる車という先入観で考えてた輩からは、パジェロミニって車はJIMNYと同じカテゴリーに入る車ではないんだけど、車高が高くてちょっとOFFも走れそうな軽、って考える輩は、全く同じカテゴリーになっちゃうんだろうねぇ。
三菱の四駆ってだけで、それはもう血統が違うって自慢する御仁がいらっしゃるくらいですからねぇ、パジェロって車は現代版JEEPで、その名を冠した軽自動車はミニJEEPだと言って憚らない御仁がいらっしゃいますから。
いつからこんなパジェロなんていう馬鹿馬鹿しいコンセプトの車を作り始めたのかなぁ。その亜流のパジェロミニ、そしてそんな時代遅れの車をOEMで売らんとしている日産ってどうよ、
面白い車ってなかなか無いですね、昔は良かったなんて言いたくないけど....。
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不調で入院すること早一週間、どうしたんだろうという感性が頭を過ぎり始めた頃だが、ようやく直ったとの連絡が入った。
K6Aというエンジンはスズキの軽自動車のほぼ全車に搭載されている、ポピュラーなものなんだから、症状の同じ様な事例があって、対処法も速攻で見つかるものと思っていたんだが、さに非ず、怪しいところを一つずつ潰して探したとのこと。
結局、タペット調整まで行ったとのことだが、今のエンジンって、タペットの調整ってシムを入れ替えてやるんだね、ってことは本来は調整不要ってことなんだわね。
イグニッションコイルっていっても、ダイレクトイグニッションだから、三本あるうちの一本が交換になってるし、プラグも交換なんだわね。
で、直ったんだろうか?まぁ、アイドリングからの発進にもたつきはないし、やたらにキックダウンするってのも無くなったから、直ったちゃぁ直ったんだろうな、ただ、エンジンの震えは未だ完治してない。

ワゴンRとの乗り心地比較をするべく、感性を研ぎ澄まして乗って、そしてJIMNYに乗ってみて、
一般的な乗り心地って言うのは、ワゴンRに軍配が上がるなぁってな所だ、ただ、ストロークの短い足なので、即底付きで、がつって反動。
JIMNYの乗り心地は柔らかいというか、懐の深い乗り心地なんだけど、バネ下重量が重いって感じは否めない、ごっつんっていう反動が来る。
板バネ式のJIMNYを知ってる人間としては、コイルになったJIMNYの乗り心地は、もう言い表せないほどの、雲泥の差なんですよ。
やっぱり、JIMNYのほうが私の感性にはマッチングしてます。
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東京都の東久留米市の話だが。
小学校に18.6平米のプレファブの小屋を建てた所、当然計画通知(確認申請ではありません)が必要なものなのに、その通知をしないで建てたため、都の指導を受け、小屋を取り壊した、とのこと。
同一敷地内に、プレファブ小屋に係わらず、10㎡を超える建物を新営した場合、増築となり、既存の建物がどんな配置で、棟毎に、一階が何㎡で、二階が、三階がってな所の資料を添付して、新営建物を含めて建築基準法に適合している旨を(多分都の)建築主事に通知をする義務がある訳だっすな。
で、この通知書を業者に委託してやってもらうと、360万円掛かるという見積もりがあがって、65万円の工事費のプレファブ小屋を作るために360万円掛けるなんてナンセンスってな所で、通知をしなかったって事らしいけど、
360万円掛けて計画通知を作るという業務委託がナンセンスなんですけど。
学校って基本台帳ってのがありまして、調査するまでもなく、学校の建物が棟毎に一階、二階、三階が何㎡づつあって、総面積で何㎡ってな資料が備わっていないといけないんですね、文科省から査察が来ても慌てないようになってます。
そして、東久留米市って人口が12万人弱、大館市くらい?の町なんだろうか、ちゃんと営繕課がある、ってことは建築士資格者だっているんだと思うんだが。
だったら、只で計画通知はできると思いますけど。
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この記事、あの朝日新聞の、だからねぇ、そこいらの学校新聞より質がねぇ、
四十年来朝日の読者だけど、そろそろ考えようかなぁ。
読売にも記事が載ってましたけど、なんかニュアンスが違うなぁ。
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秋田県の人口が110万人を割り込んだとの話。
我々の時代の教科書には130万人という記述があったと記憶している、四十年で20万人の減って、どうなんだろ?
まぁ、郡部の小学校の統廃合は昨年辺りがピークだったんだと言うことだが。
秋田市だって周辺端にある我々のところ辺りは同じように人口減で、小学校の生徒の減少は著しいのだが。
というものの、下新城地区は人口が増加傾向にある、って大した増ではないが、団地が出来て、若い人達の定着が見受けられる、特に追分に隣接する中野地区とか、県立大学の近辺、あとは追分駅東側の団地。
しかし、小学校の生徒の数は下新城小学校では増えていない。
方や、人口増の要因のない金足地区では全人口は減少しているにも拘わらず、金足西小学校の生徒数は増加傾向にある。
何故かって、簡単な話、下新城地区で増加した生徒がおしなべて金足西小学校に通っているってこと、
北中学校前とか追分駅前のバス停には数十人の生徒がバスを待っている。大清水バス停で降りて歩けば直ぐ学校があるからなぁ、ってな所なんだろうけど。
下新城小学校には児童館が学校内部にあるが、金足西小学校には独立した児童館がある。
越境して入ってる奴らが正規にこちらに来たら、逆転するんだけどな、
って、市会議員が下新城にはいないって所が少なからず痛いところだな。
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流通が発達して、色んな物を送るには便利な世の中ですが。
こちらから、大量の物品を送るってことを遣ったことが無いんだけど、いやぁ郵便物的な物を数十件送るってのは良くやることだけど、例えばMail便ってのは、送る対象物の厚さが2センチ迄なんだそうで、それを超えると宅配便になってしまうそうな。
宅配便になって一番困るのは、あの三枚複写の伝票を送り先件数だけ書かなければならないこと。昔のドットインパクトプリンターでもあれば、伝票に直接プリントして、なんて事も考えるけど、いまのジェットプリンターはそう言う訳にはいかない訳だっすな。
そこで、他に便利で安いのはないかと探したら、
ポスパケットは34cm×25cm、厚さ3.5cm以内、重量1kgまで。\400均一。
EXPACK500は専用封筒248mm×340mmに入るだけ詰められます。\500均一。
ってのが見つかったんだけど、
ポスパケットは100円安いんだが、梱包する袋がいる訳で、面倒だなぁ、ってなところ。
EXPACK500は厚いボール紙で出来たパッケージがあるので、むりくり入れ込んでも良いし、1ポスパケットの㎏って速攻で超えそうだし、やっぱり、EXPACK500かな、って事になりました。
久々にタックシールに住所をプリントして、って直接EXPACK500には印刷、無理だなぁ。
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私達自営業者は自発的に検診を受けないと機会を失うので、毎年組合病院で検診を受ける事にしている、って今日がその検診日。
朝早くから並んで、6番目に入り込んで。
身長体重計測、問診、血圧測定、採血、胸部レントゲン、眼底検査、心電図、バリュームを飲んでの胃部検診、そして今年から腹回りの測定、って何かお腹を膨らましてくださいって言われて測られるとなぁ、ってな所。
最後にお医者様による内科検診、異常ありませんね?って聴かれても、まぁ、今のところ何処も悪いと思ってるところは無いんですけど、って言うしかありませんが、そうなんでしょうねぇ。
バリュームを下す下剤を飲まされるんだが、これが異常に甘くて吐きそうになるが、その数十分後、下の方から吐き出て終了。このあと暫く気持ち悪いんですけど。
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ビビンバ氏のご指摘通り、スバルほど凝ったメカの軽自動車は無い。
四輪独立懸架、四輪ストラット式サスペンションなんて、およそ、普通車だってなかなかそこまで遣ってない。
一般的にはフロントがストラット式、リヤはトレーリングアーム式コイルで、5ポイントか4ポイントにリンケージで制御って所の様だ。
このサスペンションが而してそんなに劣っているのかってな所だが、まぁ、一般的に言えば、そりゃぁ、四輪独立が良いに決まってるって事になるのだが。
方や、JIMNYに代表されるっていっちゃぁ、他のクロカン四駆に失礼だって思えてしまうのだが、左右見渡しても此奴と肩を並べてクロカンできる車がないんで、強ち言い過ぎでもないかな、では、四輪リジットなんだが、これはサスペンションの上下方向の動きを大きく取り、方や作用反作用で、接地圧を貰うための、重要なサスペンション方式な訳だっすね。
で、まぁ昔の板バネ式の四輪リジットだと、クロカンに振ると、高速走行には不向きになってしまったりしたんだが、今のコイル式リジットだとそんなことも感じないで高速も走れてしまうんだが。
要は何処で妥協するか何だと思う。メカに凝ると壊れる確率も高くなるし。
インボードディスクブレーキなどといったメカもスバルはいち早く持っていたが、今はF1の世界でしか使われていない技術だろうけど、サスペンション周りを軽くすることの走りに対する効果ってのはよく言われていることだけど、そこまでいらないだろうって所でスバルも妥協してるんだろうね。
JIMNYとJEEP×2という私の車のラインナップだが、三台とも極クロカン車ってのは不要だべって所で、JIMNYを普通っぽい軽自動車に乗り換えようと思っているんだが、何としたものかなぁ。
今の軽自動車って相当優れものだと思います、けど、面白くないなぁ。何かねぇ、軽自動車ってここまで充実しているものなのって感じ、昔のレギュレーターハンドルの付いた窓、パワーウインドウなんていらないなぁ、そんな不自由が売りの車ってのを売ったら面白いんじゃないかなぁ、って思うのは私だけだべな。
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って、現実にやったことがあるんで、あの北巣本保育園の芋掘りのシーンには考えさせられています。
って、勿論、あのふざけた理事とかいう親父がマスコミウケするような行動をして、逆に総スカンなんだけどね。
子供をダシに使いあがってってな批判が噴出だけど、私はあのプラカードが凄く気になっています。
仏さんの絵が描いてあるプラカードなんだが、そこに「仏さんが見ていますよ」等といった、あたかも仏さんに認められている行為を自分たちがしていて、つまり強制代執行を阻止する行為が、仏に支持されていて、代執行をする奴らに仏罰が落ちるみたいな。
なんかなぁ、こんなところに仏さんを持ち出して欲しくないってところ。
こんな教育をする保育園って、保護者達も特別な人達なんだろうか。
大人のというか、特別右よりな人達の争い、政争に子供を使って、子供にも自分たちが正義で、代執行する方が悪だって教えてるのなら、速攻で保育所の認可を取り下げるべきだと思うんだが、どうだべ。
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JIMNYがまたしてもアイドリング領域での息つきというか、発進時の食いつきがが悪く、入院。
代車に先月発売になったばかりのワゴンRを拝借。
軽自動車ってのが、燃費の点で持て囃されてるとか、と言ってもJIMNYだととんとご縁がない話で、街乗りだとせいぜい9㎞/lってな所だが、いまのCVTの変速機が付いたモデルだと、16㎞/l位は実際の燃費らしいから、これは良いかもってな所だ。
実際、リタイアした60歳以上の方の買い換えが普通車から軽自動車にってのが確実に増えているとのこと。

実際、走りにしても装備にしても、室内の広さだって、1200CCクラスに遜色するところは無い、価格も同じかそれ以上に高かったりもするが、昔の軽自動車の雰囲気は無いなぁ。
JIMNYより全ての点で良いかって言えば、乗り心地に関してはJIMNYがずーっと良い、って意外かも知れないが、グレードの高い車ほど、扁平率の高いタイヤを履いていて、それに負けないようなサスを付けているんで、自ずと硬い足回りにならざるを得ないんだろう。JIMNYは82%扁平の空気量の多いタイヤだからねぇ。
それに一番の違いはフレームが付いてるって所だろう、これは剛性の点からも優れた特性だっすな。
これを考えると、JIMNYって良い車だすや。
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RAWで撮れるけど、あまり意味がない気がするんだが。
いずれ、P5000より唐突にバッテリー切れが来る恐れ大なんで、予備のバッテリーを用意。これも、色々調べたら互換性のあるバッテリーがあったりすることが判ったんだが、やたら安いので逆に躊躇、中国製ってったって、純正も中国製だけどね。
画素数が大きくなると、やぱり記録媒体も大きくならざるを得ない。
このSDメモリーも、32メガまであるが、ピンキリの価格の差は何なんだと思ってしまう。クラス6で16ギガで4,000円台からあったりするんだが、近隣の電気やではその三倍くらいの値段だから、やっぱりネットで買うに限る。
一応一流どころで8ギガがあれば充分かと思われる。
Picturetownというネット上の写真の保管場所が2ギガ分用意されて居るんだが、2ギガって微妙の容量だよなぁ。
無線LANが付いたコンデジからだとLAN環境がある場所から速攻でアップロード出来るとのこと、P6000は有線でLANに入っていけるけど、あんまり使いでがある訳じゃないなぁ。
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画素数が1500(現実には1350かな)万画素になったってところと、GPS機能が付いたこと位かな。
相変わらず、というか、コンデジはどんなに気張っても、感度を上げればノイズが発生するのは目に見えてる。今回のP6000はISO64から始められるが、64、100,200まではノイスも目立たないけど、400を超えると、途端にノイジー。
平べったい写真ってのもP5000から変わってないし。
五年前のD100と比べても、全く敵わない。
少しだけ、シャッターのタイムラグが減ったかな。
あとは、機能盛り沢山なんで、工夫する余地が多々あるってこと、まぁ、遊べるってことは楽しい。
WEBにアップロードする画像とすれば、充分過ぎるってことはわかってるが、言われてるようなデジイチのサブ機って感性ではないなぁ。
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久々のソウギという営業があった今日だが、あまりにも天気が良いので、終了と同時に出掛けたかったんだが、グローブが片方不明というトラブル、探したら女房のシャツの間に挟まって発見。
3時半前に出発出来た。
小泉潟公園はピクニック広場は大変な人出、さすが天気の良い体育の日というお休みだっすな。木々も錦色に変わって、そろそろ落葉が始まってます。
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ブルーメッセは外のお花は全て終わってますが、出店があったり、最後の人出なんだろうか、賑わってましたが四時をまわって、そろそろ店じまいが始まってました。
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国花苑、グランドゴルフとなべっこが混在。良い一日だったんだべな。
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携帯のデジカメだとこんな絵しか撮れませんトホホ。
まぁ、明日にはコンデジが来るかと期待します。
35㎞、1.5時間のポタは超気持ち良いっす。
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郊外型ショッピングセンターもシェア食い合いで潰れるんだよな。
今朝、仕事で男鹿まで行って来たけど、日曜日なのに寄る人が居ないってのがショックだよなぁ、今月いっぱいは売り尽くしセールらしいけど。
今まではスクラップ&ビルドで、潰れたらその継ぎがあったんだが、これからは更地にするのも大変だろうなぁ。
やっぱり、景気後退を覚悟した方が良いかもね。

そんなことは別に、携帯のカメラなんだけど、この位光量が豊富だと、ノイズも気にならないんだけど、CCDが小さいとどうしてもねぇ。
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コンデジが病院行きで、まぁ大きいデジイチを起動すればどうって事はないんだけど、日常を何気なく撮るってなると、デジイチだと仰々しくて、何となく構えてしまうんだなぁ。
それで、携帯電話に付いてるカメラを使ってみたのだが、光がふんだんにある場所なら結構良い感じで撮れる。手持ちでもそれなりに撮れる事が判ったが。
屋内撮影は、勿論シャッタースピードがかなり落ちるので、手持ちだとブレるので、それなりの工夫をして撮して、でも、ノイズが凄いって言うか酷い、写真として使える代物ではないが、ウエブに載せるのならまぁぎりぎりセーフかな。
コンデジのない生活は不便って、普通はそんなこと感じないでしょうけど。
困ったなぁ。
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買い出しですが、55を引き連れて。たまに回してやらないと、機械は使ってなんぼの存在ですから。
掛矢と番線とシノを購入ですが。
掛矢は杭を打つためのハンマーです。
番線は♯12で普通は輪になっているものを潰して片側をカッターで切って、結束用番線を作るんだけど、いまはちゃんとそこまで作られているのが売られている。
シノですが、これは番線を捻って縛る道具ですが、昔はラチェットは付いてなかった。いまはビデ足場が主流なんで、長木と番線で足場を作る、一本側足場なんてないだろうから、ラチェットの他にボルト穴を合わせるためにシノが使われる方が主流かも。
お祭りの準備に使いますが、番線縛るのって、私が遣ってる訳にいかないんだけど、皆さん遣ったことあるのかいな( ̄Д ̄;;
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たいそうな物品を購入して、一緒に付いてきたパソコンで印刷された請求書の口座番号に指定の金額を送金。
金融機関から、口座番号が違うとの連絡を受けて、請求書の番号を確認するも間違いはない。
購入先に電話して口座番号を確認したところ、間違っていることが判明。
この場合、私には何ら非がある訳じゃないので、「購入先と金融機関の間で手続きをして何とかすれば良いじゃないですか、私はそれに関して何ら行動を取るつもりはありません」ってな事を言って、電話を切ったのだが、結局私が振り込みを依頼した金融機関に出向いて、訂正の書類を作り、印鑑を押してってな面倒を蒙った次第である。
結局世の中は、良い案配に動いてるって事は実感する、私がこのシチュエーションでは何ら非はないのだろうが、こういう事態に陥った事そのものが非なんだろうと、納得し、そうせざるを得ない訳だ。
一年以上前から、行事の告知をして、その日を空けて置いてもらって、参加を促していたのだが、もう三週間を切った今日になって、いきなり不参加の告知、参加するといっておいて急なる事情で不参加となったのなら致し方ないと納得するんだが、今までなしのつぶてで、いきなり出席できないってのは、ルール違反と考えざるを得ない、と怒ってみたって、怒るだけ馬鹿らしい訳で、
これも自分の非と受け止めて、さふらっと行きますかぁ。
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先日初めて知ったんだが、「水からの伝言」なる著書があって、ファンタジーなんだと思っていたら、賛同者がかなり居て、学校の道徳の教材にまで使われてるとのこと。
いや、これはかなりのオカルトですねぇ。
新しいメディアがひろめるんだろうけど、もう少し覚めた心でもって接して欲しい、こんな簡単な嘘っぱちでだまされるほうがどうかしてる。
あまりにも初歩的、だからだまされる?
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色んな所に名札を付けるって事になって、思い出したのが「テプラ」。
勤め人だった頃に、ファイリングの背表紙に字を入れるのに使ってた人が多かった、って事で、私は背表紙の紙に直接プリントしていたので、使ったことがない訳じゃないけど、どちらかと言えば不得手で、最後まで良く使い方が判らなかった類の人間でした。
今回もちょっと本体をお借りして使ってみたんだが、やっぱりしっくり来ない、っていうか、これで大凡150枚も作れって、勘弁して欲しいっす。
パソコンがこんなに普及したんだから、パソコンから直接入力して作れるテプラって無いのか調べたら、ありました。
でも、結構な値段ですわ、まぁ最上機種って事で「KING JIM SR3900P」で26,040円。
ネット最安14,980円、まぁこれならってことで発注。丸一日で手元に。
EXCELで作った表から差し込み印刷が出来るってことは、150枚でももう終わったも同然ってな所であります、が、お試し用のテープしか付いてこなかったってことで、テープを買わないと仕事になりませんでしたorz
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大した工事でもないんだけど、ちょっと手を入れて貰ってます。
まぁ、知り合いというか友達というか、気心知れた奴ら何で、コストに関してもお互いが納得するような所で折り合ってるわけだが。
古い付き合いの内装屋さんと久し振りでお会いして、近況を訊いたんだが、お寒い限りらしい。
工事の発注、受注の関係は、発注側はより安く、受注側はより高くな訳だが、それは良い案配の所で終局して良い案配に仕事が出来るわけだ。
最近は赤字覚悟で受注ってのが多いらしい。
だから、今までまともな仕事をしてきて、それなりの金額を要求してきた業者(勿論下請け)が蚊帳の外に置かれて、どうでも良いような仕事をして、安い請負金額を貰う見たいな輩が増えてるというか、そんなんばっかりらしい。
良い仕事をしようと思っても、不可能だそうな。
そこいらでやってる工事現場に行って、中間検査でもしてみたいものだけど。
サプライズで帰ってきて、落ち込みそうな気がするのでパスだな。
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地元郷土史に基づいた話なんだけど、何の説明も無しじゃぁ、解る人しか解らない訳で。
長ったらしい話ですが、読んでみてください。
秋田市北部公民館高齢者大学編「昭和五十八年度 ふるさとの村のくらし続編 より抜粋
(一)中川秀慶翁の悲願と羽黒神社の再建
昭和五十八年二月十日、十二時、中野島合の自宅で中川カツヨさんが亡くなった。私(安田友吉)が直ちに見舞いに行った。
「惜しいことをしました。中川家はこれで正統が絶えたことになった。ここに土着してから、中川家は凡そ四百年、初代秀慶から数えて十六代でありました。由緒ある中川家に実施がなかったので、血統が絶えたのであります。記憶のよい人であったので、存命中に聞いておきたいことが沢山あったのに残念であります。美人で「法印様」のアネコといわれ、「優雅な『神楽舞い』は人目を奪ったものでした。八十四才はまだ惜しい年でありました。昨年は初代、中川秀慶翁亡くなって三五〇年に相当するので、中野の人達に話を持ちかけて、是非その記念式をやりたいものと心がけましたが、それがとうとう出来かねて残念でした。」と悔やみの言葉を申し上げたのである。
(1)悲劇の人は
即ち、中川家の先祖、中川秀慶なる者は、いつ頃からここ中野島合に落ち着いた確実な資料はないが、口伝えによると、
信州信濃の川中島の合戦の時、上杉家の武将であった秀慶は、一族郎党十四人を引き連れて、戦国時代の変転極まりない時勢を避け、永住平安の地を求めて淋しい旅路を出羽路にとり、先ず新城笠岡に隠遁し、程なく鷲林寺に移り、開拓に前進の希望を持ち、この地中野を永住の地と定めて、島合に落ち着いた、という。この裏書きするものとして、菅江真澄の旅日記「桜賀里」には、
「中川秀慶という武士、川中島の軍にやぶれ、出家して秀慶法印という。慶長、元和の頃より修験の初めてぞあらめ。秀慶、寛永八年三月二十日、寂せり、明和四年に大竜寺はいふなり。」とある。
これは中川家十世秀印との会話を日記に書いたのである。これを手がかりにいろいろと口伝えをたどりながら綴り合わせてみると、大要次の如.くにまとめることが出来る。
中川秀慶の本姓は中川和泉守と称して隠世しておったが、中川の中と、和泉の泉の二字を合わせて中泉の姓を作り、本姓の中川を実弟の六左工門に譲り、自分は山伏(修験者)となって大蔵院と称し、羽黒神社を再建した。後に大竜院と改めた。子孫の代には神職を世襲して中川の旧姓に復したという。
秀慶は中野島合に居を構え、新城の地を見て回り、十四人の家族の将来を考えて「産業の発展は不毛の地を開拓するに勝るものなし」と部下を励まし、自らは中野島合の地を初め、中野琵琶沼の開拓にも従事した。秀慶はこの事業の完成を期すためには、並大抵の働きでは出来ないと挺身努力したことは勿論、部下抱対しても頗る厳格に督励したといわれる。ここに於て、部下もこの厳し過ぎる態度に耐えかねて陰謀を企て、秀慶を亡き者にしようと相談した。
秀慶はこの状況は察知出来たのであり、妻の忠言もあったが、このまま開拓を中断するのは意志が弱いのである。神仏に誓ってこの事業の完成を図ろうと尚も気をゆるめなかった。この事業の完成は自分達だけの生計を立てるばかりではない。子々孫々、永遠の幸福のためである。「月に叢雲、花に風」のたとえがある。順当に行かないこともある。決してみんなを苦しめるための開墾でない。と尚も一身不乱、その事業の達成に努めた。郎党の十四人はこの意志を和らげることは出来なかったので、遂に意を決し、秀慶を生き埋めにすることを確約し、これを申し出たのである。これを聞いた秀慶は泰然として動ずることもなく、「この開拓は民益を図らんがための事業である。初めから覚悟を決めているものである。何も人を恨むことはない。」頑として応じなかった。
いよいよ決めた日限は迫って来た。手には鉦鼓という鐘をもち、「もしこの鐘の音が絶えたならば、自分は死んだのである。」と言い残して朝香山(俗に塚の下の山)の墓地に二度と遠らぬ旅路についたのである。
----と伝えられている。
「如何にも残酷な話である。罪人だってこんな最後で亡くなることはないだろう。いくら戦国争乱の世とはいえ、生死を共にする覚悟で北国路を辿り、中野島合に子孫の幸福を願ってやったこの事業に厳しい督励に耐えかねて、主人を生き埋めにすることはとても考えられない。最後の光景は悲惨極まりないのである。今までの伝説は曲解しているではないかと、私(安田)なりに更に探究してみることにしよう。」
(2)修験の極地はミイラになってこの地を護る
中川秀慶の魂はどこにあるのか。今、朝香山の墓地に行ってみると、正面の奥の高い所に墓石がある。
向かって正面には (石碑高さ、一米八〇糎)
梵字、権大僧都大竜院秀養
右側面には
梵字、阿閣梨法印大海秀慶上人
左側面には
梵字、智光院海室妙情大師
背面には
梵字、権小僧都優婆塞秀栄
と刻してある。秀慶、秀養、秀栄、大師、何れも死亡年月日は刻していない。
この墓碑は当時としてはとても立派なもので、これを建立した者は第四代秀尊の時代で、よほど調べて書いたものと見えて、江真澄翁が尋ねているが、この墓地を見たことも又、碑銘もと書いていないが、「年に似合わぬ記憶の確かなもの」とほめている。
しかしこの墓碑は一回倒れたことがあるのは何の理由かわからない。大地震か、墓を一回掘っているが、その時に方向を違えているように察しられる。というのは、常識的に考えると、
正面に、秀慶上人 右側に、秀養
裏面に、妙悟大師 左側に、秀栄
と、書くべきであろうはずである。そして、碑の頭部は欠損しているのも解せない。
この大師号は先祖秀慶の夫人でないかと察しられ、昭和五十六年の秋、堰根の鷲林寺の過去帳を調査して見ると、正しく秀慶上人の妻であることがわかった。それは大海秀慶上人の海をとり、海室と法名を書いたものと察しられる。夫に従って長い旅を続け、十四人の家来の食事から世話を一身に引き受け、開墾の不平をなだめ、又、主人の湯殿山の苦行を見守りながら生き死にする主人の態度を最もよく知っている 「悟りの境地」に立ったのは賢夫人であったと思う。
鷲林寺は中野に定着する前に世話になった寺であり、主人は修験者として最高の信仰に入ったのであるが、女の方は鷲林寺の檀徒に居残っているものと想われる。当時の過去帳の中に、院号、大師号をつけているのは、この夫人だけである。
さて、初代秀慶翁について何か言い伝えがあるかと、十六代目のカツヨさんに聞いたことがある。それによると、
「先祖秀慶翁が朝香山に埋葬される日になって、白衣の装いで竹の節を抜いた竿を持ち、ワラジをはき、家の後から田んぼ道に出て、ぬかるみにトドムシロを敷いて列を作って行った。穴に入る前には、家族や元の従者たちに最後のあいさつをして呪文を唱え、静かに穴に入った。翌日になっても墓にはかすかに鐘の音が聞こえてあった。」と伝えられている。
如何にも劇的な場面である。これを聞いた何人も、いろいろと想像するに違いない。
又、この墓地をたずねる人も同様、松風の吹くこの丘に三十数町歩の琵琶沼の開拓地を眺めて、空想に走るのであろう。従者、十四人の墓は二列に下方に並んで、いかにも殉死の如くに見えてならない。
湯殿山との関係はどうか。
朝香山の墓の隣に同じ様式の墓碑が、供養碑が一つ建っている。石質も違う上、年代を考えてみると、秀慶翁の時代より、はるか降っているので、これも不思議である。
右側、湯殿山、行者良玄行人 徳位
正面、前永平千手世代 大和尚 禅師
ママ
右側、環空、昌安栄寿信女 霊位
裏面、権大僧都法印本海偶元上人 覚位
元文三年六月二十五日
この中、二人の名は湯殿山修験者である。秀慶翁の友人でもないようだが、秀慶翁の修行と最後の話を聞き、感動した人に相違ない。又、前の永平寺大和尚も秀慶翁の即身是仏の境地に至った信仰心に感心させられたに相違ないと思う。が、残りの鞠昌安栄寿信女は中川家の誰の夫人かともわからない。過去帳にもない。
秀慶翁が修験者になり、この数十町歩の開墾を成就するには並大抵の心掛けでは出来ないことと、十四人の従者に家族を確立させる世話等、いろいろの困難に遭遇したに相違ない。これを貫くためには強い信仰心を持たなければならないと、その信.仰心を培うためには山岳仏教の行者になることだ。と、最も苦行を主とする山形の湯殿山に縄々荒行をなし、戒律を守り、私欲、煩悩を絶つためには、何回かの行事に参加しただろう。随って最高の法位を授かり、これ以上の位のない免許を得ている。秀慶はこれ以上の苦行をし、得道するなればミイラになって即身是仏、あらゆる苦難を乗り越えて生き仏、生き神様となる道よりないという心境に立ち至ったのではなかろうか。
今は観光化している揚殿山ではあるが、そこへ行ってみると、雰囲気は全く違うのである。神秘的な修験者の苦行難行した昔日の有様が眼前に彷彿してくるのである。
ミイラになった話は至る所に聞くことがある。近い所では八橋にもある。秀慶がミイラになっても何も残っていないかと、昭和二十何年頃か、カツヨさんの夫秀章氏在世の頃、一度この基底を掘ったことがあった。しかし、人骨も副葬品も出なかったが、唯一つ当時のことを察知される茶わん一個が出た。
この茶わんが秀慶の身辺と何等かの関係があるかどうかと疑問とされていた。故、奈良環之助先生に鑑定を依頼したが、的確な返答が出来なかったので、更に土崎図書館長、小野先生は陶器の鑑定者として県内の第一人者であったが、これも又、確答を避けて秋田図書館に保管されていた。更に秋田県立博物館が金足に完成した時に、ここに移管されてあった。その専門家の説明を承ると次のようである。(茶わんの直径十七㎝ 高さ十一㎝)「この陶器は日本製でなく、中国の清の初め頃で、天正頃の作である。何か中国との関係のあった人か、又は清国から来日した陶工が造ったものか、日本人の陶工はまだ作れなかった。当時は貴重な物として武士の間には大事にされ、茶道と共に流行した経緯がある。」 との確答を得た。
秀慶が羽後の国を目指して来たのは、この時代に相当するので朝鮮征伐によってこの青磁を持参した貴重品であると想定される。
これが秀慶翁の大事な所持品として、朝香山に葬られる時に一杯の茶を飲み、且分の入った穴に一緒に埋めたものであろうと推測される。この茶わんは青磁といわれ、薄青色の「ウワグスリ」をかけたもので、模様から見ても日本風と違っている。(秋田県立博物館所蔵)
(3)中川家と従者の家々とその後
◎中川家の代々
初代 (約四百年)秀慶-(二代)秀養-(三代)秀栄-(四代)秀尊-略-(十代)秀印-○-(十二代)秀全-(十三代)秀正-(十四代)秀成-(十五代)秀鈷-(十六代)秀章 〔カツヨ夫人〕
◎秀慶の従者(朝香山の秀慶墓碑の前に並んだ先祖の墓)
鎌田惣兵工 中泉藤兵工 中泉作兵工 中泉松之助 中川久右工門 中川忠助 中川伝兵工 中川与作 中泉孫助 中川市十郎 伊藤長左工門 中泉長四郎 中川六左工門
この十四人が中野開拓の先祖の方々である。
開村当時は人家がなかったが、今日、三百数十戸に達し、年々発展の一途を辿っている。
秀慶とそは羽黒神社再興の人であるのみならず、中野琵琶沼を初め、付近の開拓者としての大恩人であり、報られない悲劇の偉人であった。
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って、何か胡散臭いと言うか、焦臭い。
「『一流建築家による建物が望ましい』とする新県立美術館基本計画策定委員会の意見を受け、準備組合に一流建築家が参画できるかを尋ねた」「(安藤氏参画は)準備組合側の提案」
だから、準備組合が民間であっても作業する内容に公共事業(から補助金が出ただけで)が含まれていれば、会計検査院の検査も受けるし、だから設計者の選択も受注者の選択も公明正大でなければならない訳で。
民間の組合だって、国、県、市から補助、つまりは税金が使われた時点で、明確な選定理由が必要なんですが。
秋田県が行わせる組合の仕事は、そんな縛りがないってことかなぁ。
さっぱり判らないっす。
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先日、太平山で高校の恩師に偶然出会ったのだが、その時の写真をお送りしたのだが、先方からも写真と返事が来ました。
さすが、英語の先生、英文であります。
未だに私は試されているのかなぁ。でも、一応内容は把握出来ました( ̄ー ̄)ニヤリ
その時に映ってる山小屋が先日火事で焼失したんだよな。
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